第9回 放射線夏の学校を終えて

担当幹事 九州大学工学部 榮 武二

 今年の夏の学校は、福岡市志賀島(しかのしま)で7月30目から3日間開校され ました。天候にも恵まれ、東京から不便な地ながら、多くの方々(79名)に参加し て頂きました。この地は国宝「漢委好国王」の金印が出土した場所であり、テーマ として掲げた「放射線と考古学」を勉強するための格好の場所での開校が実現しま した。考古学にテーマを絞るというアイデアは、学生幹事をお願いした若林君と、1 年以上前に話し合って決めたと記憶しています。方針を決定したのは非常に早く、 前年度の箱根の夏の学校で、若林君が内容を説明できた程でしたが、その後の準備 は私の怠惰でなかなかはかどらず、多くの方々にご迷惑をおかけしました。幹事長 の鶴田先生をはじめとして皆様のご支援で何とか開校にこぎつけ、有意義な学校を 開くことができました。この場を借りて、深く感謝致します。また、私の準備不足 のため、開校直前まで、事務局の伊丹さんにご迷惑をおかけしました。機転の利い たサポートに感謝いたします。

 考古学の話題は、放射線計測、加速器の分野で、最近度々登場しますが、具体的な 内容に触れる機会が少なく、新しい遺跡発見による定説の変化など、素人にはなか なか分かり難く感じます。私達の身近の九州の話題でさえ、研究者からの直接の情 報を得るチャンネルは皆無でした。考古学への放射線計測技術の応用は、学際的分 野での先端技術の応用の典型であり、考古学での利用の焦点をはっきりさせること が今後の重要な課題となると考えられます。何をどうゆう精度で測れば、何が証明 でき、考古学上のどういう結論を導くかを知ることは、年代測定技術の研究の方向 性を決める重要な情報となります。今回、夏の学校で、考古学と放射線の両分野の 学生、研究者が集まったことが、分野間の情報の新たな流れを生み出し、将来、考 古学上の重要な発見につながることを希望します。

 今回の夏の学校のことを、、東和大学の田中先生にお話ししたら、朝目新聞の記者の 方にお知らせ頂き、夕刊に記事として掲載されました。7月25目の地元の記事で、 ”自然科学から考古学へのアプローチ”、”放射線工学の活性化”という言葉で紹 介されていました。会場がもっと大きければ、積極的に一般の方の参加を呼びかけ てもよかったかもしれません。

 さて、夏の学校の内容ですが、初日のスケジュールとして、まず、放射線賞授賞式 と、受賞された方による講演がありました。新日鐵、倉門雅彦さんと、三菱電機、 西沢博志さんに、お話しして頂きました。1回目の考古学に関する講義は、吉野ケ 里遺跡の専門家である、佐賀県庁の七円忠昭先生と、古代遺跡に残っている赤い色 を科学的手法で研究されている、別府大の本田光子先生にお願いしました。考古学 に関する豊富な話題に、参加者一同、興味深く講義を聞かせてもらいました。

 懇親会は、待に学生の宴会芸で盛り上がりました。福岡市にある’吉井システムリ サーチ’と、’株式会社インテグレ’から頂きました賞品の争奪戦が大学対抗で行 われ、九大、東北工業大と神戸商船大が上位入賞を果たしました。今回、放射線分 科会のシンボルマークを募集して、夏の学校参加者で、選考する予定だったのです が、宣伝が十分でなく、エントリーした作品が少なかったため、紹介だけに止めま した。

 2日目は、考古科学に関して、九環協の松岡信明先生に、加速器質量分析に関して、 名大の中村俊夫先生に講義をお願いしました。最新の計測技術と考古学の関連につ いて知ることができました。この日、一般講義として、近大の鶴田隆雄先生に実効 線量についてお話し頂きました。午後のレクレーションは、海水浴、釣り、テニス ができるように準備しました。日差しが強かったため、かなり日焼けされた方もお られたようです。学生の発表会は12件の話題提供がありました。学生が座長とな り、全員で議論を盛り上げようとする雰囲気は、夏の学校ならではのものです。 3回目、最後の講義は九大の的場教授にお願いしました。話題は、エネルギー環境 の未来についてでした。
 最後に、お忙しいところ、講義の依頼を快く引き受けていただいた講師の先生方に 感謝いたします。開校、運営にあたっては、多くの方々に助けて頂きました。また、 私の所属する九大的場研の学生と、石橋研の学生に、準備段階からいろいろ無理を お願いしました。協力頂いた全ての方に感謝致します。来年の金沢での夏の学校で、 また会いましょう。


国民宿舎しかのしま苑にて(1997/7/30)