2014年春季「産学連携の新パラダイム」報告書

青山学院大学相模原キャンパスで開催された第61回応用物理学会春季学術講演会三日目の2014年3月19日(水)午後、応用物理学会と日本学術会議「未来社会と応用物理」分科会との共催による特別シンポジウム「産学連携の新パラダイム-日本のモノ作り再生に向けて-」が開催された。会場には150名以上の聴衆が集まり、この課題への関心の高さが窺われた。

まず河田聡応物学会長より、今から80年前の「応用物理」創刊号(1932年7月)に長岡半太郎、本多光太郎、大河内正敏の三先生が工学と物理学の接点として応用物理学は重要だと書いておられる、産学連携は本学会の古くて新しい重要なテーマである、と挨拶があった。次いで企画者を代表して人材育成委員会の末光より、本シンポジウムは、日本のモノ作りの衰退に危機感を持った応物学会人材育成委員会と、研究開発型中小企業との新しい産学連携に夢を見出そうとしていた日本学術会議「未来社会と応用物理」分科会が連携して実現したものである、危機感の共有と夢の共有こそは本シンポジウムの二大テーマである、と趣旨説明があった。

最初に総論として、同志社大学の山口栄一氏より「縮みゆく日本の物理学と物理ベンチャー-求められるイノベーション・ソムリエ-」という刺激的なタイトルで日本のモノ作りの現状分析と処方箋を提示いただいた。/次の三軸における抜本的な改革がわが国喫緊の課題である。(1)第一軸「知の創造」(=科学)では、物理学・物質科学・生命科学の3分野において2003年を契機にわが国の論文数が激減し、日本の科学の終わりの始まりが来ていることを知るべき。「創造的な若者に創造の場を与える」ことが国の役割ならば、制度上の原因を究明して増加に転じる政策を可及的速やかに打て!(2)第二軸「知の具現化」(=「イノベーション」)では、衰退企業の救済補助金制度と化した日本のSBIR(Small Business Innovation Research)政策は完全に失敗したと知るべし。可及的速やかに米国SBIR政策に習って、科学の博士号をもつ科学行政官(イノベーション・ソムリエ)を養成し、彼らに科学・技術・イノベーション政策を経営させるべく、国の制度設計を根本から変えよ。応用物理学会がイニシアチブをとって第5期科学技術基本計画を作れ!(3)日本の物理ベンチャー育成には、第三軸「知の越境・回遊」を行う21世紀型イノベーションモデルの理解が必須だ。博士大学院教育のなかに、異分野への回遊を取り入れたΠ型人間を育てるまったく新しい大学院を創れ!

続く小山珠美氏(昭和電工(株))は、「産業界が直面する課題の克服を目指して―環境ビジネスとイノベーション―」と題し、産業界がこれから直面するものづくりの課題を「環境等法規制」という切り口から浮き彫りにされた。/戦後日本の“ものづくり“イノベーションは、(1)「利便性を求めた」1980年代までの産業資本主義時代、(2)「快適さを求めた」2000年前後までのポスト産業資本主義時代、そして(3)「環境・健康・安全を求める」2010年以降、と分類でき、これらの変遷と平行して環境規制が変貌、強化されてきている。EUにおける化学物質に関する新しい規制(REACH)においては、環境・健康不安の時代を反映して”No Data, No Market.(危険有害性情報がない化学物質は、上市なし)”という原則を掲げている。今後、環境・健康・安全に係るグローバル規制は、重要な知財戦略の一つの視点である。グローバル市場で、日本の技術がその市場占有率を次々に喪失してきたのも、単なる特許戦略の欠如のみではなく、モノ作りに関するグローバルな規制戦略の欠如も主要な原因の一つと思われる。アメリカ、カナダ、欧州連合は、OECD(経済協力開発機構)が謳う化学物質総合管理原則に則り、化学物質管理規制を域内の産業競争力強化に利用している。対して日本の化学物質審査規制法(化審法)にそのような戦略性、思想は見られない。日本のモノ作りに関わる専門家はほとんどが理系出身で、法律・経済の学位取得者が欧米韓に比べて極端に少ないのもこうした事態を招いた要因の一つと思われる。応物に関わりの深い物質の一つであるナノマテリアルでも、その毒性研究や法規制への取組が各国で始まっており、企業がグローバル展開する際には各企業は独自で規制当局ごとに対応することになる。海外との契約や法対応について決して得意とはいえない日本人にとって、現在は、大変不利な状況になっており、この傾向はますます激しくなっていくだろう。こうした各国規制をビジネスモデルのツールとして活用できる人材育成が待たれるが、それには大変な時間がかかる。理系のモノづくり人材が豊富な日本にとっては、まずは「真に地球に対して真摯なモノづくり」とは何かという思想を持って、技術開発の中に環境・健康・安全の付加価値をより積極的に導入することが、売れる技術への早道であると思われる。他国の人々が何を“危険”と感じ、何を“不安”と思うのか、を理解することも製品開発のヒントである。環境配慮製品とは、単なる高効率技術、省エネ技術を指すだけではないということをよく考えることが重要である。

それにしても、なぜ日本の「知の創造」(科学)は力を失い、「知の具現化」において米国の後塵を拝しているのであろうか。玉城亮氏(CONNEXX SYSTEMS社)は、ご自身のアメリカでの経験を踏まえながら「なぜアメリカでは基礎研究が金になるか」という直截な題で米国の戦略を紹介された。/米国では大学からのテクノロジートランスファーによって1996-2010の14年間に工業生産量総額が8360億ドル(84兆円)押し上げられ、300万人の雇用を創出した。そもそも大学の研究成果を事業化するのには、(1)国からの一貫した支援政策と知財保護、(2)ベンチャーキャピタル(VC)の資金供給体制、(3)産・学そして投資家から成るテクノロジークラスタ、(4)大学におけるテクノロジートランスファー機構(支援体制)、の四者が必要だ。日本には(1)と(4)が欠けている。1980年を契機に米政府は大学研究費を据え置き、代わりに大学発の技術トランスファを支援する起業補助金制度(SBIR/STTR)を発足させた。その結果、優れたテクノロジートランスファー専門機関(OTT)を有するカリフォルニア工科大学やフロリダ大は、研究費で全米トップ10に入らないにも関わらず大学発実業化ランキングで3位と5位を占めるようになった。OTTスタッフは積極的に研究室を訪れ、最新の技術の重要性を学ぶと共に、研究者にIPの商品価値を教育する。OTTは特許戦略を練りつつ中小企業にIPを積極的に売り込む一方で、起業に必要な資金集めを行って会社設立の援助を行う。教育・研究をコアミッションとする大学人(思想家)をトランスファへと仲立ちするOTT(行動家)が、「餅は餅屋」として専門性を活かして戦略的に働くところが米国の強みだ。

シンポジウム後半は、産学連携の各論として4人の方から講演をいただいた。最初は大企業及び海外コンソーシアム(IMEC)経験の長い丹羽正昭氏(東北大学)より「日本の産学連携のPros & Cons」と題し、とくに半導体産業の衰退と復活の展望についてお話いただいた。/かつて世界を震撼させた日本の電機産業が、貿易赤字に転落したのはなぜか。ファブレスとファウンドリ分業の遅れ、世界標準化能力の欠如、過剰品質、安易な技術移転・流出、と諸説あるが、電機業界の経営戦略、競争戦略の欠如が一番だ。国の責任も大きい。1986年に日本に半導体の首位を奪われたアメリカはSEMATECHを設立、「米国の衰退は半導体にあり」なる共通認識の下、強烈な国家戦略で奪還を図った。今、日本にその意気込みは全く見えない。本当に“産業のコメ”と思っていたのだろうか。蔓延する戦略性の欠如は深刻だ。決断できない横並び経営、先が読めない鈍感体質、内向き志向といった我々の体質が根底にある。半導体専門企業ではなく総合企業が部品として半導体を製造してきた事も、製造現場が予算をコントロールできず、悲劇だった。産官学の無責任体制も大きい。産官プロジェクトの乱立による戦力の分散、業績悪化企業同士の戦略なき(官主導による)合併、海外との関係構築抜きの被害者意識の先行、国際競争を前提としない税制。そして社会に向き合わず興味本位の研究を続ける大学人。産学連携における日本の大学の問題点は、実用化につながる技術シーズ(使える技術)の発信が少ないことだ。産学連携を行うと基礎研究が出来ないと言う人がいるが、LSI プロセス現場は新しい物理現象発見の宝庫だと知ってほしい。IMECから多くを学びたい。2世代先の研究を行うIMECには、インテルで一分野を築き上げた大物研究者が次のネタを探しに同僚を駐在させていた。IMEC首脳部は、半導体製造技術に関して、アジアの時代が来ることを予見し、Japan DayやKorean Dayを設けて異文化を学びつつ関係を構築していた。皆、戦略的である。産学連携やオープンイノベーションでは単なる費用分担やアイディアの利用だけが目的では、お題目に終わる。自由な交流によって新しい実用可能なアイディアに到達することが大切だ。「決して、互いのアイディアは盗まない」(スタンフォード大学・西氏)という信頼感があってこそ可能になることなのだろう。技術革新は長期的視野で物事を見る場所から生まれる。株主の圧力で長期的投資が困難になっている米国では、基礎研究の多くが大学にシフトしている。ところが日本の教員の6割以上は産学共同研究に興味がない。外部資金の一部を教員個人の収入に還元するインセンティブを教員に与え、博士課程進学学生の授業料や生活費を研究費から支援できるようにすべきだ。たくましき楽観主義で、今再び挑戦者として復活の狼煙を上げたい。

続く2つの講演は、産学連携を通しての地域活性化の事例報告であった。岡田基幸氏(浅間リサーチエクステンションセンター)からは「地方中小都市における自助独立・継続性を重視した産学官連携による中小企業支援」と題して信州大学との産学連携コンソーシアムについてお話いただいた。/信州大学繊維学部の中に置かれた従業員5人の会社である。創設は2002年。元々は上田市役所が建てた産学連携オフィスだったが、今はスペースレンタル料と186社からの年会費で自助独立している。市からの初期投資も支援企業からの税収で回収した。補助金依存体質からの脱却が大事で、独立して初めてこちらの本気度が相手に伝わり、中小企業の社長さんが信用してくれるようになった。年会費の増減を通して、毎年、企業の評価を受けている。業務内容は技術相談、セミナー開催、企業見学会、技術研修会、採用支援など。地域にとって起業家は宝である。地域・地方から全国につながるきっかけ作りにも役立っている。中小企業との連携数は一時減ったが、今再び復活しているのを感じている。

続いて奥村次徳氏(首都大学東京, 日本学術会議連携会員)からは「研究開発型中小企業との産学連携―TAMA協会の元気の出る取組―」と題して講演をいただいた。/日本の全企業数のうち99.7%が、全従業員数の7割が、全製造付加価値額の5割が中小企業。TAMAが注目するのは、とくに製品開発型(研究開発指向性)中小企業である。設計能力、自社製品、市場ニーズ把握力、研究開発志向を持つこうした企業は業績に優れ、地域経済の中核的存在となっている。神奈川-東京都-埼玉と1都2県にまたがるTAMA地域には、このような研究開発型中小企業が多い。大規模工業団地が多く、大学の集積が進み。交通網も充実し、情報集積や人材の多様性に富む地の利を生かすべく、1998年に発足した。現在、38大学、294社が参加し、コーディネータ登録は160人を数える。活動の柱は産学連携・研究開発支援、販路開拓・海外展開、人材育成・経営者育成、人材確保など。地域活性化、産業活性化支援、事業活性化を通して雇用拡大と税収アップをもたらし、それが産業振興予算・施策に還流する持続的なサイクル構築を、産学官金の連携の下に進めている。企業城下町型クラスタと異なり、TAMAの産業クラスタは基盤技術型、製品開発型、大手製造拠点、大学・研究所が多くのバイパスを持ったネットワークを形成する。このため大手が製造拠点を海外移転してもネットワークが切れない強みがある。産学連携促進の取り組みとしては、地域イノベ・技術連携交流会を開催し、大学や大手企業と中小企業のマッチング場を提供している。競争的資金獲得支援も行っており、TAMAが係わった案件の採択率は97%である。TAMAの産学連携にはいくつかの型がある。(1)大学発の技術を中小企業や大学発ベンチャーで実用化するシーズ先行型、(2)企業の持つ開発テーマが抱える課題解決や理論的裏付けに大学と連携するニーズ先行型、(3)大学発のニーズを企業が解決するニーズ・シーズ逆転・融合型(コンカレント型)、そして(4)人材育成・人材交流型。大学と中小企業の産学連携には、双方の役割分担が明確、開発の各ステージでの目標が明確、経営トップの直接参加と陣頭指揮、迅速な意志決定、といった特徴がある。一言で言えばKDD(勘と度胸とどんぶり勘定)であり、これがスピード感を生んでいる。「大学の先生は敷居が高いとの先入観が解消した(企業)」、「研究開発志向の中小企業とはwin-winの連携ができる(大学教員)」といった肯定的評価がある反面、「うちの研究はナノテクなのでマイクロ加工は興味ない」という大学教員がいるのも事実である。IF, citation impactといった科学者コミュニティに閉じた評価指標だけではなく、産業への貢献や一般社会に対するインパクトも工学系教員の評価に加味すべきだろう。ネットワーク型でオープンな産学・産産連携を行うことが日本のモノ作り産業の再生に繋がると考える。「Bigger is BetterからSmall is Beautifulへ(シューマッハ1973)」という言葉に学びたい。

講演の最後は、元気の出る大学発ベンチャーの成功例として森勇介氏(大阪大学)に「異分野連携で生まれた大学発ベンチャー―創晶プロジェクトのマネジメント秘話―」と題して話を講演をいただいた。/紫外レーザーを赤外固体レーザーの波長変換で簡単に実現できる波長変換結晶CLBOを1993年に発見し、同結晶を製造・販売する会社として創晶を設立した。同結晶が基礎研究テーマとして成熟してきたころ、タンパク質を安価に結晶化できれば創薬ビジネスにチャンスがあると気付き、生物系に「回遊」した。非線形光学結晶を作る際に使用していた溶液攪拌、レーザー照射法をタンパク質に適用したら、成功率が20から70%へと大幅アップした。応用物理(エレクトロニクス分野)の技術は最も進んでおり、これを他分野へ展開すると効果的である。乾いた雑巾を絞るのではなく、「回遊」してずぶ濡れの雑巾を探そう。高校の後輩、大学の同期、その友人などで異分野連携し、創薬支援に特化したベンチャーを立ち上げた。専門家にビジネス指南を受け、ゴールドラッシュで儲けたのは金を掘った人ではなく、ジーンズを作ったリーバイス、銀行を作ったウェルズファーゴ、鉄道を引いたスタンフォードだと知った。馬具からファッション業界へ進出したエルメス、化粧品へ進出した富士フィルムも「変える勇気」がポイントだった。やる気を起こすメンタルトレーニングも有効だった。研究者が回遊しにくいのは育てられ方のせい。良い学校、良い大学に入り、研究室では脇目を振らずに研究し、大きな産官学の組織に就職する人生、つまりフラフラせず大きな組織に入って真面目に過ごすのが良い人生であり、回遊したりベンチャーを起業するのは危険な行為と刷り込まれている。こうした思い込みを取り去りベンチャーマインドを創出するには、メンタルコーチが有効である。この事に気付き、心理学的アプローチによるベンチャー企業創出のためのベンチャーを創った。研究者の心のケアにも有効で、大学では教授の方が病んでいると分かった。プロスポーツ選手にも有効である。ベンチャーはいくら分析しても成功するかどうか分からない。やはり勘と度胸と丼勘定(KDD)が大事である。自信を持って一生懸命やっていると人がついて来る。勇気と遊び心を持ち、回遊・創発で新技術と市場を創出したいと思っている。

最後に、学術会議側の企画者を代表し、未来社会と応用物理分科会委員長の渡辺美代子氏(科学技術振興機構)に締めくくっていただいた。/今回の目的は課題共有と解決策の事例からヒントを得ることだったが、成功している人たちには共通点があると分かった。(1)自分のやりたいことが明確。自分で何とかする。人に頼らない。(2)自分の専門に閉じこもらない。自分でできなければ専門家を取り込んでしまう。(3)何より楽しそう。この三つのキーワードで、日本のモノ作りがもう一度元気になればと思う。/本特別シンポジウムでは、ぜひ遠慮せず本音を語って下さいと講演者の方々にお願いしたが、その通り、たいへん刺激的な特別シンポジウムとなった。聴衆から寄せられたアンケートの結果からは、企業においては過度の自前主義、秘密主義が、大学においては時代に即さない研究やコスト感覚の無さなどが、産学連携を妨げていることが指摘された。更に、応用物理学会には産学の交流の場/シーズ・ニーズのマッチングの場として機能してほしいとの期待が示された。今回のシンポジウムを一回だけの成功で終わらせることなく、応物学会と学術会議の連携として如何に継続的に取組むか、如何に実行に導いていくか、企画者一同、大きな宿題をもらった気持ちでいる。

末光眞希(東北大)