第1話「私が博士になったわけ:産総研って知ってますか?」
産業技術総合研究所 吉田 郵司
(元幹事長・応用物理学会フェロー)
当分科会の学生の皆さんは、産総研ってご存じでしょうか?
正式には「国立研究開発法人 産業技術総合研究所」、略して産総研と言います。地質調査、計量標準、エネルギー・環境、情報・人間工学、エレクトロニクス・製造、生命工学、材料・化学の7つの研究領域で、約3000人の職員が働いている、国内最大規模の研究機関です。その中で、再生可能エネルギー研究センターの研究センター長として、国内の再生可能エネルギーの普及・拡大を目指しています。私自身の研究分野は「有機薄膜および有機太陽電池」ということになり、当分科会には36年間の長きにわたってお世話になっています。
産総研に就職する前は、当時九州大学の教授であった松重和美先生(現四国大学長、京都大学名誉教授、元分科会幹事長)の研究室にて、流行りの「分子素子」の実現に向けた研究を行っていました。具体的にはフッ化ビニリデン系分子の電場配向制御の研究で、エネルギー分散型全反射X線回折装置という現在のGIWAXS(斜入斜X線回折装置)の走りとなったユニークな装置で構造評価をしており、最終的には博士課程まで在籍していました(写真1)。当時は1990年前後のバブル期ということもあり企業も羽振りが良く、大手メーカーからシンクタンクまで様々な業種で理系人材は引く手あまたで、学士・修士卒で就職するのが当たり前でした。私自身も修士卒業時に某企業への内定を頂いていましたが、松重先生の私への期待を込めた一言により博士課程への進学を決断しました。心の中では、研究者に憧れて折角ここまで研究してきたので「博士号」というものを取ってみたいという気持ちが強かったこともあります。丁度、修士2年というのは研究が面白くなってくる頃で自分でも自信に溢れていたのですが、この後、博士課程で研究の難しさを痛感することになるとは思っていませんでした。実際、博士課程では成果が中々出ず論文発表もままならず、博士号を取得できるか自信を失いかけていました。その中で、研究を続けられたのは、研究室の後輩が次々と博士課程に進学して、その彼らに負けないように頑張らせてくれたこともありました。当時の2学年下に在籍していたのが、優秀な学生であった石田謙司先生(現幹事長)です。更に、当分科会で同じ有機薄膜の研究をされていたのが東京工業大学の奥居徳昌先生であり常に励まして頂きました。また当時奥居研の学生であった久保野敦史先生(元幹事長)とは学生時代からの研究仲間でもあり、学会でお互いの研究を議論し深め合ったことが、博士課程の研究を継続するモチベーションになりました。
写真1 1990年当時の九州大学松重研究室にて。
博士課程進学を決めた頃の筆者(右下)と松重先生(左上)および指導教員の堀内先生(右上、故人)。
当時の研究室の蒸着装置やX線装置は主に手作り。
その後、何とか3年間で博士号を取得し、就職先を探す段階では企業は考えず、大学ともう一つ、国立研究所(国研)という選択肢を与えていただきました。当時は、産総研は通商産業省(今の経済産業省)傘下のバラバラな研究所で、電子技術総合研究所(電総研)は半導体などのエレクトロニクスで有名でしたが、私が所属した物質工学工業技術研究所は一般にはほぼ知られていませんでした。学会でお世話になった八瀬清志先生(元幹事長)をご紹介いただき、最初は特別技術補助職員という契約職員として入所しました。当時はポスドクという概念が無く、恐らく研究機関としては最初のポスドク制度、といっても今より給与が格段に安い任期付ポジションでした。今思えば、よくこんな不安定なポジションに就職したなと思いながら、国研がどんなところが知りたいという思いと、その後は外国の研究機関を紹介してもらいたいという希望を持って、つくばに来たように記憶しています。運良く半年ほどで正規職員に採用していただき今日に至っておりますが、博士課程に進学していなければ、ライフワークとしての有機薄膜や有機太陽電池の研究は続けられませんでしたし、学会活動での活躍、そして産総研での様々な大型国家プロジェクト事業や研究センターを牽引することは無かったと思います(写真2)。その意味では、博士の道を選んで良かったとしみじみ感じています。また、分科会の存在と数多くの研究仲間との交流が、今風に言えば本当に大きな「Engagement」になっていると思います。
写真2 現在の筆者(前面真ん中)。2023年4月の再生可能エネルギー研究センターの集合写真。
現在、総勢200名規模の組織のセンター長として活動中。
さて本題ですが、今の学生さん達は博士課程に進学する方が少ない状況と伺っています。私事ですが、大学に通う息子2名を抱えており、博士課程まで行かせてあげたい反面、学費の問題が大きいことは実感しています。また、回りが先に就職して給与をもらうようになり、社会に出遅れた気持ちになることも実体験として良く分かります。ポスドクのポストは沢山あっても、その後のキャリアパスが見えないという事実も、受け入れ先の研究機関として理解しているところです。ただ、研究を続けたい、研究で自己実現をして行きたいと強く思っている学生さんが、研究者の免許証でもある博士号を諦めることは極めて勿体なく、採用する研究機関としても残念です。実際、産総研で職員募集をしても、応募してくるのは海外の方が7~8割方であり、日本の博士課程の学生さんの応募は年々減っています。そのような状況を解消すべく、昨年度から修士卒の採用を行っています。従来も、地質調査や計量標準分野では修士卒の学生さんを採用してきました。今回は全分野にわたって募集し、かつ任期は付けないパーマネント型職員として採用しています。昨年度の採用実績が18名と全体の1割強であり、今後、更に積極的に採用していきます。図1に示すように、この制度の要点は、就職も博士号も諦めないで良いというものです。今までは、自己負担か奨学金で博士課程に進学していましたが、その費用を産総研は負担してくれるという、昔の私からすると夢のような制度です。勿論、仕事をしながら博士号を取得することは大変ですが、回りがしっかりサポートしつつ、将来、産総研を背負って立つ研究者になっていただく、更に日本の科学技術を背負って立つ研究者になっていただく意味でも投資すべきと判断しました。因みに、大学がゼロから研究を生み出し、教育し社会に普及させるProfessorとしての重要な存在であるとするなら、国研は研究を社会実装するためのDirectorとしての大きな役割が期待されています。もし、研究を続けたいけど就職しなければいけない学生さんがいらっしゃったら、そんな壮大な仕事もできる産総研を選択肢の一つとして考えてみては如何でしょうか?
図 産総研の修士卒育成モデルの説明